2020年東京パラリンピックがもうすぐにせまっています。

谷真海選手は、アテネ・北京・ロンドンの、3大会連続パラリンピック出場し、
2013年の五輪招致の際は、プレゼンターとして、東京大会招致に貢献しました。
そのときの谷選手のスピーチでは、自身の病気や東日本の震災のときの経験を語り、
震災後に、谷選手は、他のアスリートたちと共に、スポーツ活動を行うことを計画し、被災地の学校等を訪れ、自信を取り戻すためのお手伝いをしたと語りました。
そのときに初めて、スポーツの真の力を目の当たりにしたといいます。
スポーツには、新たな夢と笑顔を育む力、希望を持たらす力、人を結びつける力があることを実感したということでした。

この感動的なスピーチや素敵な笑顔が印象的な谷真海選手は、どのような選手なのでしょうか。調べてみることにしました。

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谷 真海 選手のプロフィール

名前:谷 真海(たに まみ)
(旧姓 佐藤 真海)
出身地:宮城県気仙沼
生年月日:1982年3月12日
年齢:37歳(2019.8現在 執筆時)
所属事務所:サントリーホールディングス株式会社
コーポレートコミュニケーションズ本部CSR推進部
担当業務:次世代育成支援・東北復興支援・チャレンジド・スポーツの推進
出身校:早稲田大学商学部

谷真海選手の経歴

1982年 3月12日生まれ。宮城県気仙沼市出身
2000年 仙台育英学園高校卒業。早稲田大学商学部入学
2004年 早稲田大学商学部卒業。サントリー株式会社(現サントリーホールディングス株式会社)入社。
2012年 3月 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科 トップスポーツビジネスコース(社会人コース)修了。
2013年 国際オリンピック委員会(IOC)総会では、プレゼンターとして2020年東京五輪招致に貢献。
2014年 結婚
2015年 出産を経験し、2016年パラトライアスロンへの転向を表明。
    2020年東京パラリンピック出場を目指し競技に取り組む。

現在勤務するサントリーホールディングス株式会社CSR推進部では、次世代育成プログラムの運営に取り組んでいる。
その他、パラリンピックの素晴らしさを広めるために講演やイベントへの出演も行っている。

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谷 真海選手の略歴

谷選手は、中学校で陸上競技を始めます。

2000年に、早稲田大学入学後、応援部チアリーダー部で活躍していました。
その活動中の2001年冬に、骨肉腫を発症。
2002年4月に右足ヒザ下を切断し、義足の生活となりました。
治療、リハビリ後、2003年1月からスポーツを再開しました。

【走り幅跳びで3大会連続パラリンピック出場】
谷真海選手は、走り幅跳びは、ただ速く走ればいい、ただ高く跳べばいい、ではなく、組み合わさってできる種目であり、その難しさがやりがいになっていった、と言っています。
2004年走り幅跳びでアテネパラリンピックに初出場。
2008年北京パラリンピックにも出場しました。
2011年3月、東日本大震災で、故郷の気仙沼が被災し、一時は練習もままならない状態になりましたが、
諦めず、2012年ロンドンパラリンピックで3大会連続出場を果たし、自己ベストを更新しました。

【2017年、走り幅跳びからトライアスロンへ転向を表明】
谷選手は、2017年の転向は「自然な流れ」といいます。
トライアスロンは負荷の高いスポーツだけど、彼女にとっては走り幅跳びより身近だとのこと。
競技場でないと練習できない幅跳びと違い、家の近所に水泳スクールがあり、自転車やランニングもいつでも練習できる。
陸上のときは一人で練習することが多かったが、今はトライアスロンの愛好者たちと一緒に練習させてもらえて、
刺激になり、鍛錬には最適とのことです。

そして、2017年に出場したワールドシリーズ2試合、世界選手権と全ての大会で優勝します。

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