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金澤翔子さんの父親・金澤裕さん

金澤翔子さんの父親は金澤裕さんといい、家業を継いでいくつもの会社を経営なさっていたそうです。

金澤裕さんは、観世流で幼いころから舞台を踏むなど、能に非常に造詣が深く、金澤泰子さんとは能を通じて知り合ったのだそうです。

泰子さんは34歳のときに、5歳年下の裕さんと結婚します。その後何度か流産を繰り返し、不妊治療の末に42歳のときにようやく授かったのが、金澤翔子さんでした。

金澤翔子さんはダウン症で、敗血症も併発しており、すぐに輸血しなければ助からない状態で生まれてきました。

主治医に輸血をするかどうか尋ねられ、敬虔なクリスチャンだった金澤裕さんは、即座に「輸血する」という決断を下したそうです。

そして自ら輸血して金澤翔子さんの命を救ったのでした。

なお、その時は泰子さんは麻酔で眠っており、意思決定に参加することはありませんでした。

そして、意識が戻って医師にダウン症の事実を告げられてからは、金澤裕さんの思いとは裏腹に、母娘2人で心中することばかりを考えていたといいます。

そんなこともあって、泰子さんは後にしばしば、金澤翔子さんに「お父様がいなければ、あなたは助からなかったんだよ」と頬ずりしながら話しかけていたそうです。

父親の金澤裕さんは、まさに翔子さんの生みの親であり、かつ命の恩人だったのですね。

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金澤裕さんの死

しかし、そんな金澤裕さんは、1999年、金澤翔子さんが14歳のときに、心肺停止により52歳の若さで亡くなってしまいます。

一家で自宅のリビングでくつろいでいたところ、金澤翔子さんと泰子さんの目の前で突然倒れてしまったそうです。

心肺停止により脳に酸素が行かなかったため、脳の手術を受けるも、その8日後に意識不明のまま息を引き取ったのだそうです。

金澤裕さんは、とても心の広い人で、多くの人から慕われた人だったと泰子さんは述懐しています。

なお、金澤裕さんは生前、楷書の名門である柳田流の4代目・柳田泰山氏に、「妻を日本一の書家に」と頼んでいたといいます。

金澤裕さんの死後、柳田泰山氏は、泰子さんに、「あなたを日本一にするのは無理だが、代わりに金澤翔子さんをダウン症の日本一の女流書家にしましょう」と告げ、現在の書道家・金澤翔子への道が大きく開かれることになりました。

そして、金澤翔子さんは今も、毎晩お祈りしながら、天国にいる父親の裕さんと話し、「頑張ります」と報告しているのだそうです。

このように、金澤裕さんは、生前も、そして亡くなった後も、金澤翔子さんの人生に非常に大きな影響を与える存在であり続けています。

以上、金澤翔子さんについてでした。最後までお読み頂きありがとうございました。