内海桂子・成田常也(なりたつねや)夫妻が徹子の部屋に登場。

内海桂子さんの24歳年下の夫・成田常也氏はどんな人なのでしょうか?

成田常也さんの、内海桂子さんとの馴れ初め、出身地や生年月日、高校や航空会社など、wikiプロフィールについて調べてみました。

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成田常也さんと内海桂子さんの馴れ初め

成田常也さんは40歳のとき、当時64歳の内海桂子さんに初めて出会います。当時、成田常也さんはアメリカの航空会社で営業の仕事をなさっていました。

成田常也さんは、ラジオで内海桂子・好江さんの漫才を聞いたことがきっかけで、8歳の頃からずっと大ファンだったそうです。

成田常也さんがアメリカに滞在していたときに観たあるテレビ番組で、内海桂子さんが温泉で上半身裸の状態で映っていたことがあったのだそうです。

その姿を見た成田常也さんは、そこまでしないと生活できないほど苦しいのか、とショックを受けたのだとか。

そのことがきっかけで、成田常也さんは内海桂子さんの電話番号を何とかして探し出して連絡を取り、アメリカで漫才の仕事をすることを提案。

内海桂子さんはそれほど乗り気ではなかったものの、一度は会ってみようということで、二人は初対面を果たします。

内海桂子さんは、そのときの成田常也さんの丁寧な物腰に、とても感銘を受け、好印象を持ったのだそうです。

日本に一時帰国した成田常也さんは、内海桂子さんのアメリカ公演のお礼を言うために、ふぐ屋で会食をすることになりましたが、そこで着物を脱ぐ内海桂子さんの姿を見て一目惚れしたのだそうです。

40歳の男性が、64歳の女性の着物を脱ぐ姿に一目惚れするなんて、とてもドラマチックですよね。

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成田常也さんの猛アプローチ~結婚

その後成田常也さんはアメリカに戻りますが、それからというもの内海桂子さんに猛アプローチを始めます。

頻繁に手紙を送り、その数は1年半でなんと300通にも上りました。

内海桂子さんは、さすがに最初の方は薄気味悪く思っていたそうです。しかし、文面からにじむ成田常也さんの誠実さに、次第に心惹かれるようになっていったのだとか。

そして、300通目のラブレターで、成田常也さんはついにプロポーズ。

成田常也さんは内海桂子さんにアメリカで一緒に住むことを提案しましたが、内海桂子さんが首を縦に振らなかったので、1989年に自分が日本に帰国することを決意。

帰国後は日本で会社員をすることになり、1990年に同居を始めます。

会社に3年勤めた後に退職し、1993年に内海桂子さんの専属マネージャーとなります。

成田常也さんが会社員をしていた最初の3年間は、内海桂子さんの方が成田常也さんに毎日お弁当を作っていたのだそうです。

そして成田常也さんは3年間勤めた会社を辞めて、内海桂子さんの専属マネージャーになり、今度は成田常也さんが内海桂子さんの食事を毎食作ることになります。

2人はすぐにでも結婚するつもりでしたが、そこに立ちはだかったのが、内海桂子さんの子供たちの存在でした。

内海桂子さんは、籍は入れていませんでしたが、かつて夫婦漫才をしていた相方2人との間に、息子と娘をもうけていました。

長男が「年下の父親は困る」と結婚に反対。また成田常也さんと同い年の娘さんも、いい顔はしなかったそうです。

しかしその後、長男にがんが見つかり、余命3ヶ月と分かったときに、成田常也さんに「おふくろを頼む」と遺言します。

そして、1999年、10年の交際を経て、晴れて二人は戸籍上も夫婦となりました。

次のページで、成田常也さんのプロフィールについて分かったことについて述べています。